大判例

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大阪高等裁判所 昭和39年(ラ)291号 決定 1965年1月28日

抗告人 田村加代子(仮氏)

右法定代理人親権者父 田村正男(仮名)

同母 田村佳代(仮氏)

主文

本件抗告を棄却する。

抗告費用は抗告人の負担とする。

理由

一、本件抗告の趣旨ならびに理由は別紙記載のとおりである。

二、当裁判所の判断

(一)、抗告理由第一点(抗告人は、「千佳」という通名を使用しており、名の変更の正当事由があるとの主張)について。

おもうに、通名の使用を理由として名の変更の許されるのは、その使用が永年にわたり、そのため本人の交友関係、職務関係その他一般社会生活のあらゆる面において、通名が戸籍名にとつて代り、戸籍名では却つて本人の同一性の識別に支障を来すような程度に達した場合に限られ、たとえ通名を使用しても右の程度に至らない場合には、戸籍法一〇七条二項に定める名の変更の正当事由を具備するものではないと解するのが相当である。これを本件についてみるに、抗告人は昭和三九年二月一一日に出生したいまだ生後一年にも満たない幼児であつて、このことは一件記録中の戸籍謄本の記載によつて明らかであるから、たとえ抗告人が生後「千佳」という通名を使用しているとしても、右説示に照らし、それだけでは、名の変更の正当事由があるとなすを得ないことはいうまでもない。したがつて、抗告理由第一点は採用できない。

(二)、抗告理由第二点(抗告人は、同一家庭内にある養母田村佳代と呼び名が同じでまぎらわしく、実生活上不便であり、また、不自然でもあるから、名の変更の正当事由があるとの主張)について。

しかし、いわゆる同姓同名が名の変更の正当事由といいうるためには、近くにこれに該当する者がいて頻繁な郵便の誤配等社会生活上著しい支障のある場合に限られるのであつて、単に同一家庭内に呼び名を同じくする者がいて不便であるとか、あるいは不自然に感ぜられるというような程度では右正当事由に該当するというを得ないし、また抗告人の年齢からみて、母子の呼び名がまぎらわしいというだけでは、社会生活上著しい支障をきたすとは考えられないから、右抗告理由第二点も採用することができない。

(三)、以上の次第であつて、抗告人の主張する抗告理由はいずれも理由がなく、名の変更を許すべき正当の事由は認められないから本件申立を却下した原審判は相当であり、本件抗告は棄却を免れない。

よつて、主文のとおり決定する。

(裁判長判事 金田宇佐夫 判事 日高敏夫 判事 古崎慶長)

別紙

抗告の理由

(イ) 第一審々判に際しては申立代理人である私達に一回、審問の機会を与えて下さり田村正男のみ出頭して審問に答えましたがその審問に対して云いたりなかつた事もあり、又申し述べた事柄については、充分にその意が係官に把握されていないままで、この審判が決定されたものと考えられます。例えば生後九ヵ月余の乳児が自分の名をすつかり「千佳」と覚えてしまつているということ及すでに百枚の披露状によつて「千佳」を紹介済みであり、現在すでに「千佳」のおよぶ地域の人々においては、内外ともに「千佳」が通用してしまつており、(正式な法的手順もふまないで「千佳」と命令した私達の軽卒についてその責は免れないものであるけれども)そしてこれを今更取り消すことの方が、子ども本人にも又周囲の人々にもかえつて不都合を生じ、むしろ混乱を来すと云つても過言ではありません。このような申立に対して何の配慮もうかがう事ができない第一審々判であると思われます。

(ロ)審判理由の中に「本件申立は単に同人らにおいて将来問題のおこるであろうことを予想して為されたものにすぎず実生活上直ちに改名をしなければならない支障や不便のあることは認められない」とありますが、これはわたくし達が養女と同居するに及んで当初から「千佳」と命名いたして、当然まぬがれられないであろうところの混乱を予測して先手をうつていたがために、現在、支障や不便が避けられているのであつて、この措置がないままでの現在を推測するとき、ささやかながらも混乱は避けられないものと思われます。「ささやかな混乱」とは大人の側からこそ云えるのであつて子どもの立場から見るなれば、決してささやかではない筈です。又只今は生後九ヵ月の乳児であるため混乱も少ないとしましても、二歳三歳と長ずるに従つて「ささやかな混乱」と一笑にふせるわけには参りません。

又上記審判理由の中に出てくる「直ちに」と云うことはたつた今の瞬間的な意味の事なのでしようか、又将来とはいつごろを指すのでありましようか?20年先も将来であれば10年先も将来であり、5年先も将来でありましよう。今、直ちに改名せず、5歳とか8歳とか○歳とかと云う風に子どもがもの心深くなつてから改名する悪影響を考慮せねばいけないと考えます。

(ハ) 又審判理由の「実生活上直ちに改名をしなければならない支障や不便のあることは認められない」と云う事は、「将来においては支障や不便が認められるであろうが」と云う前提に立つているものと思われます。若しそうだとすると、先で支障や不便の起る事を予測しておりながら、その困つた事態の愈々おこるのを手ぐすねびいて待つているという格好ではあまりにも消極的であると云わざるを得ません。

困るか困らないかあらわに実証されるのを見届けるという「実証主義」は、一応それなりの意義はありますがこの実験のかげには一人の人間の犠牲がしいられる事を知らねばならないと思います。そしてその犠牲は、先で、この事件を解決した時点において、取り戻せるというものではありません。

(ニ) 前回に申しおくれていました点について申上げます。

実は千佳は(加代子の事、以下千佳と呼びます)未成年である母に生れ父を知らず不幸にも“祝福されざる児”としてうぶ声をあげ、直後より保護施設である乳児院に入れられました。そしてまだ目もみえない生後20日ごろより、縁あつて私たちとめぐり合い、私達の切望によつて養子縁組のはこびとなつたものであります。この日以来千佳の幸福を一途にねがう生活が始りました。改名についても出来るだけ、子どもの「加代子」をそのままにして、母の「佳代」を改名しては、と、あくまでも子供主体に考慮はいたしましたものの、母の名を、今更かえるについては悪影響も多大であり、子どもの場合ですとまわりに及ぼす影響も本人に対する影響も考えられないまま、「千佳」と命名した次第です。もし、そのまま「加代子」を採用しているとしましたら、先にも云つたように現在にても多少の混乱ある事は否定できません。そしてやがては子どもも、同一家庭内におなじ呼び名の混乱や不自然さに気づき、なぜなぜを発してくる事でしよう。そうして、たやすく貰われ児の事情を知る事になりましよう。私達は、子供に対していつまでもこうした事情をひたかくしにするつもりではありません。が、うち明けます迄には相当の準備教育がいり、うちあける時期は慎重に考慮されねばなりません。が同一家庭に呼び名が二つと云う不自然さをこのまま抱えて参りますと、この不自然さが話の種となつて、引いては千佳の生い立ちに到るまで取りざたされるような事もないとは断言出来ません。

私たちは千佳の代理人として、又加えて、千佳の親権者としてあらゆる角度から準備おこたりなくたとえ小さな障害でも油断なく取り除き、うちはらつて、千佳を監護養育しなければなりません。今回の改名願もただもの不便だとか、混同してわづらわしいとか云うような、なまやさしい考えのみで願つたものではありません。あくまでも広く深く、教育的配慮や見地に立つて改名する事が、この児の幸福を増すものであると、確信してお願い申上げる次第であります。

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